
山里の湯とその歴史

法師の歴史に詳しい遠藤氏によると,1200年前この温泉は人間に使われはじめたのではないかという説を地形から推察していただきました。温泉のすぐ側を流れる法師川は現在,ちょうど大浴場の周辺で蛇行しています。 その曲がった状態から起源を推察できると言います。 原始の温泉は,川に流れ込むお湯を,板で囲ってその外を石垣で保護しただけのものだったそうです。 この湯を塞き止めたときから温泉が川を迂回させはじめました。人間が温泉を利用することによって川が逃げていったということになります。 現在の大浴場の底は昔の川底であったと言うことから法師の起源がわかります。 現在の川底より,大浴場の底の方が600~800ミリ高いそうです。1年に1ミリづつ川底が深くなるとして,1000~1200年と考えられるそうです。 法師温泉の起源を探るもう一つの事実は奈良時代,高崎市西南部に一大文化圏が存在したことからもうかがわれます。 これは多胡碑文でも明らかなこととされています。 この様な文化が裏日本にも広がったのは,いうまでもありません。 法師川によりそう一本の細道は,文化の橋渡しをする人々が三国峠を越えるとき通った道なのです。 法師温泉は,この裏日本と表日本を結ぶ道沿いにあったのです。 旅人たちや土地の人が,温かい湯に体身をゆだね心を癒す。 こんな昔の風景を想像するだけでも心がときめきます。
法師を歌う
法師には多くの歌人・文学者が訪れ法師を詠んだ歌を残しています。

草まくら手枕に似じ借らざらん 山のいでゆの丸太のまくら 与謝野晶子
春さむの越後山路を越へくれば 猪の伏す如く 法師湯の伏す 直木三十五
山祈る太古の民の寂心 今日新にす 法師湯にして 川端康成
妻の背を洗す夫あり 法師の湯 内村直也
仏法僧いまだ鳴きつつ 曇り日の 谷の真洞の空明けむとす 中西悟堂
当館に残されている書画






与謝野鉄寛
与謝野晶子
直木三十五
川端康成
河東碧梧桐
直木三十五












